平成13年(ネ)第3719号 損害賠償請求控訴事件
控訴人    佐木理人
被控訴人   大阪市

準備書面(控訴審第4回)

2002年5月30日

 大阪高等裁判所         
    第6民事部D係  御中

控訴人代理人 弁護士

竹下義樹
岸本達司
坂本 団
高木吉朗
山之内 桂
伊藤明子
和田義之
石側亮太

 

第1 「新たに判明した事実」に関して

1 被控訴人の主張の前提が失われていること

(1) 控訴人の2002年2月15日付準備書面(控訴審第2回)で指摘したとおり,本件事故前の平成5年7月に近畿管区行政監察局(以下「監察局」という)および近畿運輸局(以下「運輸局」という)から被控訴人に対して,ホーム先端への転落防止柵の不設置についての指摘を含む,視覚障害者の駅ホームからの転落事故防止措置に関する指導がなされている。また,同じく本件事故前の平成7年8月には複数の障害者団体から被控訴人に対して,転落防止柵の設置,警告ブロックのホーム終端までの敷設についての明確な要望が為されていた。被控訴人は控訴審において,これらの事実を特定して行った控訴人からの当事者照会に対して,その事実の存在を明らかにした。

(2) しかしながら被控訴人は,原審においては,これら事実の存否に関する求釈明に対し,その存在を否定する回答をなしていたものである。

そして,原審における被控訴人の本件ホームの瑕疵の不存在に関する立論は,真実に反する前記回答内容を前提としているのであり,(被告準備書面(10)第2の1(6)(8頁),同第2の6(17頁),同第2の4(5)(16頁),同第2の6(17頁)等),これら事実の存在が明らかになった現在,既にその論拠を失い,維持することができないと言うべきである。

2 被控訴人主張への再反論

(1) これに対して,被控訴人は,控訴人が指摘した前記監察局や運輸局からの指導の事実に関して,平成14年3月25日付準備書面(12)において,被控訴人は,監察局又は運輸局から,転落防止柵の「設置要求」も「設置指導」も受けておらず,運輸局が控訴人に対し,監察局からの指摘事項に関し「検討を要請」したものであると主張し,控訴人主張への反論としている。

(2) しかし,ここで問題となる前記事実についてその内実を見るに(甲50ないし52号証),監察局は,障害者の利用に配慮した施設等の調査において,「改善の余地」がある部分として,しかもプラットホームにおける視覚障害者の転落事故の防止措置の不十分性を指摘する文脈において転落防止柵の不設置に言及しているのである。その上で,運輸局に対して「鉄道事業者に対して所要の検討を行うよう指導する必要がある」と通知(所見表示)し,運輸局はこれを受け,当該所見表示を引用した上「可能な限り障害者等の鉄道利用に配慮した駅施設の充実に努められたい」と指導しているのである。

    従って,監察局及び運輸局の指摘は,転落防止柵設定に関する指導に他ならないから,被控訴人は,求釈明に対して虚偽の回答をしていたというべきである。

(3) 上記の点は措くとしても,控訴人は,そもそも被控訴人の転落防止柵設置義務が公的機関からの「設置要求」・「設置指導」に該当する前記事実から直接に導かれると主張しているわけではなく,前記事実の存在から,被控訴人が本件ホームの危険性を認識していたこと,ひいては本件ホームの危険性の存在と,その危険が通常の予測の範囲を超えたものでないことが明らかになると主張しているのである。被控訴人の設置義務は「要求・指導」の有無とは無関係に,ホームの危険を解消すべき義務即ち通常有すべき安全性の確保義務として当然に存在するのである。

したがって,用語の相違以前に,監察局ないし運輸局から具体的に「安全柵を設置するように」との要求・指導がないということに拘泥すること自体が無意味なのである。

(4) 即ち,問題とすべきは,前記事実から明らかになる危険の存在,危険の認識であり,ここにおいては「設置要求」「設置指導」に該当するか,「検討の要請」に過ぎないのかといった些末な議論は問題の本質とは何らの関係もないのである。

(5) また,被控訴人は,障害者団体からの警告ブロック延長,転落防止柵の設置方法等に関する要望の事実については,控訴人が原審で行った求釈明が「視覚障害者」団体との文言を使用していたことを捉えて,「視覚障害者団体に限らず広く障害者団体等との間に…」等と述べて(平成14年3月25日付準備書面(12)3頁)やはり「視覚障害者団体」と「障害者団体」の用語の相違を強調し,あたかも控訴段階で判明した障害者団体からの要望が同求釈明とは無関係であったかの如き主張をしている。

    しかし,要望があったのは障害者団体であり視覚障害者団体ではないなどというのは詭弁以外の何物でもない。

また,控訴人は,「大阪盲ろう者友の会」から要望を受け,実際に同会のメンバーとの接触を持っている被控訴人が,同会を「視覚障害者団体」ではないと認識していることについて理解に苦しむものであるが,それを措くとしても「視覚障害者団体」と「障害者団体一般」を区別することに何らかの意味があるわけはないのである。

ここにおいても,問題とされるべきは,公的機関の指導の事実におけると同様,当該要望の事実の存在から,被控訴人の本件ホームの危険性の認識,ひいては本件ホームの危険性の存在と,その危険が通常の予測の範囲を超えたものでないことが裏付けられるという点にある。

3 被控訴人が自ら前記準備書面(12)において述べている,公的機関や障害者団体等からの指摘に対する対応は,要するに,現状と自己の見解の報告・説明に終始しているに過ぎない。

駅ホームに危険が客観的に存在する以上,被控訴人はこれを解消すべき立場にあるのであり,かかる報告・説明が,被控訴人の何らかの責めを免れさせる理由とはなり得ないことは明白である。かかる対応で事足れりとする被控訴人の主張は,自主的・積極的な改善努力の姿勢の欠如を露呈するものであるといわざるを得ない。

第2 文献等による見解表明の有無に関して

1 被控訴人は,前記準備書面(12)において,平成7年当時,文献等によって,本件ホームのような状態が視覚障害者の転落防止のための設備として不十分であるとの見解が表明されていない旨主張している。

2 しかし,控訴人が原審段階で提出した文献(甲6ないし10)は,視覚障害者の歩行特性や,視覚障害者の鉄道利用に際しての危険や困難,転落事故の多発などの事情を一般的に明らかにすることを立証の趣旨としていたものであり,安全柵の設置,点字ブロックの敷設方法に関する,個別具体的な場合の危険性やあるべき水準を示そうとするものではなかったから,上記の見解の表明の有無とは直接の関係はない。

また,そもそも転落事故発生の危険性はその存否が客観的に判断されるべきものであるから,事故当時に文献等によって見解が表明・確立されていたか否かには関わりがない。

3 控訴人の主張(及び原審判決)は,公刊物,文献,論文等による何らかの知見・見解の表明の有無に重要な意味があるとの理解に基づいているものと思われる。

しかし,本件で問題になっている,鉄道駅ホームにおける視覚障害者の転落防止のための転落防止柵の設置や警告ブロックの敷設方法といったテーマは,たとえば医療技術のように,多数の研究者が学術的研究の対象とし,その結果発表・蓄積される専門的知見を参照しつつ実務(臨床)が発展していくというような分野とは異なり,鉄道事業者自らが不断に検討・改善を図るべき分野であるから,文献等による見解・知見の普及の有無・程度を問題とする発想自体が誤りなのである。

4 そして,上記のとおり,一般的に視覚障害者の鉄道利用における危険性が高いことが明らかであり,特に本件ホーム終端部の如く,「転落防止のための設備が何も無い」空間が存在すれば,その部分からの転落の危険が極めて高いことはなおさら自明であるというべきである。

かかる危険の存在は実際にホームを設置管理し,乗客の安全を確保すべき立場にある鉄道事業者がこれを認識し,最優先で対策を講ずべきものであって,文献等による指摘が無いことは何ら鉄道事業者の責任を減免する理由となり得ない。

被控訴人がかかる危険な状態を放置したものである以上,ホームの設置管理に瑕疵があったことは明白である。

第3 基準の変更について

 1 被控訴人は,控訴審段階に至り,平成7年に行われた縁端警告ブロックの敷設方法に関する基準の変更について,「北側への屈曲より視覚障害者への警告効果が大きいかもしれないと考えて」「試みに」延長方式を採用したものであって,従来より警告効果が大きいという確信のもとに,また,従来の設置方法に安全性の問題を認めて基準を変更したものではない旨の主張をしている(平成14年2月15日付被控訴人準備書面(11)13頁,前記被控訴人準備書面(12)5頁)。

 2 しかし,被控訴人の上記主張は,非現実的であり,理解に苦しむ主張であるといわざるを得ない。

効果を検証するために「試み」るならば,それは「基準の変更」ではなく「実験」と言うべきであって,控訴人が予算措置を講じて,99駅(甲66号証参照)にもわたって変更工事を実施することなど到底考えがたい。仮にも事業者であり地方公共団体である被控訴人の意思決定は,何らかの必要性と合理性の認識の下に行われる筈である。

したがって,被控訴人が予算措置と相当規模の工事を要する「基準変更」を行っている以上,その意思決定は単に「効果に確信はないが,試みに」なされるようなものではあり得ず,相当程度の必要性の認識のもとに行われていると考える他無いのである。

被控訴人が安全に関する施策において基準変更をしたという事実は,被控訴人が従前の状態に安全性の問題を認めていたという事実を意味するに他ならない。なお,基準変更が平成7年6月24日の事故を受けて行われていること(乙60ないし64)も,この事実を裏付けるものである。

第4 過走の問題と5m基準の関係

 1 例外の自認による5m基準論の破綻・その1

〜危険の存在はホーム終端の乗降設備等の存否と無関係であること

(1) 被控訴人は,従前より,本件ホーム東側終端部への転落防止柵不設置の根拠として「過走対策としての5m基準」論を主張しているが,その前提として,「本件ホーム終端や停止線付近に旅客乗降口…等の乗降設備もなく,ラッシュ時に旅客がホームにあふれて押され線路に転落する高度の危険がない」ことを主張し(被控訴人準備書面(11)22頁,同(10)8頁等),同基準に一定の例外があることを認めている。

すなわち,被控訴人は,ホーム終端付近に乗降設備等があって,旅客の転落の危険があると考える場合には,列車停止位置から5mの間隔をとれなくとも転落防止柵を設置する必要性があるとは考えているのであり,実際そのような設置方法をとっている駅が多数ある(甲13,14,乙27)。過走の発生率はホーム終端の乗降設備等の有無によっては変わらない筈であるから,被控訴人自身がかかる例外事由を認めている事実は,過走対策としての5m基準より乗客の転落防止という安全対策の方が優先すること(当然のことであるが)を被控訴人が認めていることを意味しており,「5m基準」を墨守する立論に説得力がないことを自ら明らかにしているのである。

(2) ただ,問題は,被控訴人が設けている上記例外基準が,ホーム終端付近に乗降設備等がある場合にのみ,過走対策に優先する「高度の危険」が存在するという発想に基づいている点にある。

    上記発想は,晴眼者にとっての危険しか視野に入っていないものであり,以下に述べるとおり,視覚障害者を含めて考えれば, 過走対策に優先する「高度の危険」は,いかなる場合にも存在するというべきである。

     すなわち,被控訴人は,乗降設備の存在により,特に「ラッシュ時」に危険が高くなることを重視しているが,視覚障害者は,常に「押されなくても転落する」危険を抱えているのであるから,危険の有無はラッシュ時か否かとは無関係である。また,駅ホーム上には,(事業者の主観的期待とは無関係に)もともとあらゆる部分に利用者が立入る可能性があるが,特に視覚障害者にとっては,物理的に立入不能とされていない限り,乗降設備が存在しないホーム終端など,客観的にはそこに立ち入る必要性がない部分にまで立ち入ってしまう可能性が高い。

     かかる立場におかれている視覚障害者にとっては,ホーム縁端側に転落防止のための(物理的)表示,設備が何も無い部分が存在すれば,その部分からの転落の危険はきわめて高度のものとなることは自明である。

したがって,視覚障害者である利用者にとっては,乗降設備等の有無とは全く無関係に,常に「高度の危険」が存在するのである。

(3) 上述のとおり,転落の危険の存在が乗降設備等の有無とは無関係である以上,乗降設備等が存在する場合のみ5m基準に例外を設けて転落防止柵を設置するという発想の不合理性は明らかであり,すべての場合に転落防止の設置を優先すべきなのである。

2 例外の自認による5m基準論の破綻・その2

(1) 被控訴人は,上記のとおり,5m基準の例外を認める根拠として,ホーム終端に乗降設備がある場合には「ラッシュ時に旅客がホームにあふれて押され線路に転落する高度の危険」があると主張する一方で,「過走対策としての5m基準論」を展開する中でも,過走時に列車をバックさせることにより「ホームに旅客があふれる等の危険」を防止することをその理由として主張している(被控訴人準備書面(11)24頁,同(10)3〜4頁等)。結局,5m基準の存在理由と例外を設ける理由のいずれも「旅客があふれて転落する危険の防止」と言っているのであり,その論理が破綻を来していることは明白である。

(2) ホームの混雑による危険に対処するための手段としては,本来,被控訴人準備書面(11)25頁に示されるとおり「交通整理」や「改札・入場制限」という方法が存在するのである。そして,「例外」により5m基準を取っていないホームにおいても,現実には「幸いにして旅客がホーム上の混乱により押されて線路に転落するという事態の発生は免れている」(同書面24頁)のであるから,上記手段はその目的を果たしていると言える。従って,混雑による危険の回避と「5m基準」は本来何の関係も無いのである。この両者を無理に結びつけようとする被控訴人の主張に上記のとおりの破綻が生じるのは当然である。

結局,「危険の回避」は「5m基準」の根拠とならないというべきである。とすると,被控訴人が同基準に拘泥する本来の理由は,過走の修正・後退よるダイヤの乱れを回避して,大量高速輸送の効率を確保することを視覚障害者を含む乗客の安全確保に優先させるという価値判断のみにあると考える他無い。

従って,本件において被控訴人の主張する5m基準論を認めることが出来るか否かはまさにかかる価値判断の是非にかかっているというべきである。大量高速輸送を行う公共交通機関には,人の死傷等重大な事故発生の危険性が伴うからこそ,事故発生を防止するために最大限の安全確保義務を負っており,安全性の確保が全てに優先するものと解すべきであるから,被控訴人による上記の価値判断が到底是認し得ないものであることは言うまでもない。

3 JRにおけるホーム転落防止柵の問題について

(1) 被控訴人は、他の事業者における過走の問題に関連して,JR西日本におけるホーム転落防止柵の設置例に関する新聞記事(乙57,58)を提出している。

これら記事によれば,柵の設置により転落事故はなくなったが,1m以上の過走が発生すると停め直しの必要が発生し,1〜2分のダイヤの乱れが生じることがあるので,JRにおいてはその撤去を検討しているとのことである。要するに,導入した安全設備が効果を発揮しているのに,他方では輸送効率を妨げているので,輸送効率を優先することを検討しているというのである。

ここから読みとれる発想は,まさに乗客の安全より輸送の効率を優先する価値判断そのものである。僅か1〜2分のダイヤの乱れを防止することが乗客の転落を防止することより優先するということは,常識を超えた価値判断と言うほかなく,前項において述べたとおり,到底是認し得るものではない。

まして,本件で問題となっているのは,当該記事の例におけるような,各車両のドアとドアの間の部分にも設置される柵(過走による影響が車両の中間部においても生じる)本件で問題となっているのは,当該記事の例におけるような,)とは異なりホーム終端部の転落防止柵であること,停め直しの問題が発生する停止位置の差も5mであることから,停め直しによる影響の程度がそもそも当該記事よりも相当小さいと考えられるのである。従って,被控訴人の安全軽視・効率優先の価値判断の度合いは,当該記事の例におけるよりもさらに甚だしいというべきことになり,なおさら是認できない。

(2) 以上を措くとしても,そもそも当該記事で問題となっている柵は,ホーム中間部分に設置されているものであるから,仮にそれを撤去した場合でも,そこには少なくとも縁端警告ブロックは存在するのである。従って,当該柵の有無が必ずしも直ちに視覚障害者の危険の有無に結びつくものではなく,警告ブロックも転落防止柵も存在しないホーム終端部分における危険の有無が問題となっている本件とは,問題の所在が異なるというべきである。

第5 類似の事故例について

1 「類似」性の意味について

控訴人は,本件事故発生前に生じた4件の類似事故について「類似点はホーム終端部において発生したということだけであり,事故に至る経緯,原因は全く異なる」旨主張する。

ここにおいて被控訴人は個別具体的な「事故に至る経緯,原因」を重要視しているが,個々の事故において具体的な事情が様々であるのは当然のことであり,具体的事情の細部まで完全に一致した事故例など存在するはずがない。

ホームの設置管理の瑕疵が問題となっている本件において,類似性を論じるにあたって意味のあるのはあくまでも現場の客観的状況であり,被控訴人の指摘するような個別具体的な事情が問題となるのは,その事情の存在ゆえに通常予測できる範囲を超えた危険が発生したといえる場合のみである。

しかるに本件で問題となっている類似の事故例においては(そもそも被控訴人が「原因」と決め付けている「盲導犬の誤導」等の事情自体,事故報告書の記載を鵜呑みにしたものかまたは憶測に過ぎず,現実にそのような事情が存在したか否か不明というべきであるが),いずれも通常の予測を超えた危険が生じたといえるような事情は無い。

本件ホームに通常予測できる範囲の危険が存在する限り,ホームは通常有すべき安全性を欠き,その設置管理に瑕疵があるというべきである。そして,まさに本件ホームと同様の構造を持つ場所において転落事故が4件発生しているという事実が存在し,これが本件ホームに通常予測できる範囲の危険が存在することを裏付けているといえるのである。

2 長居駅の事故における被害者の認識について

(1) 被控訴人は,平成6年2月15日に長居駅で発生した事故について,「当該ホーム上に現実には突出した階段が無い」ことから,被害者が「階段の裏の壁」と勘違いしたことが不可解である旨主張している。

(2) しかし,これは晴眼者の発想のみにとらわれるから不可解なのである。

すなわち,晴眼者は,「当該ホームには突出した階段が無い」との情報を所与の前提として考えがちであるから,「階段の裏と勘違い」することはあり得ないのではないかとの疑念に陥るものである。

ところが,単独歩行をする視覚障害者にとっては,その対象となる壁が当該ホームに現実に存在するか否かにかかわらず,かかる「勘違い」が生ずることは充分ありうるのである。なぜなら,現実の階段の存否,状況に関する上記のような情報は,主として視覚によって与えられるものであるため,実際に単独歩行している視覚障害者にとっては所与の前提ではないからである。控訴人準備書面(控訴審第3回)でも主張したとおり,単独歩行する視覚障害者が利用する駅の構造をすべて把握しているとは限らないし,それを要求することは可能でも適切でもないから,当該情報を把握していないことを責めることは許されない。とすると,ホーム終端の壁にたどり着いた視覚障害者が,その壁の意味を判断するに際して,当該ホームの客観的状況を基礎とすることができるとは限らず,過去の経験(別の駅におけるそれを含む)や一般的知識を基礎とせざるを得ない場合も多々生じうるのであり,そこにはいかなる勘違いが生じてもおかしくない。

したがって,当該事故の被害者の勘違いは不自然でも不可解でもないのである。まして,「本件事故との類似点を無理に作出しているように思われる」等と主張するに及んでは,控訴人が真摯に取り組んでいる訴訟準備・調査活動に対する誹謗にもわたるものであると同時に,駅ホームからの転落事故を根絶したいという心底からの思いで上記調査活動に協力している当該被害者をはじめ多くの視覚障害者の思いを踏みにじるものであり,誠に遺憾と言わざるを得ない。

(3) かように,視覚障害者の鉄道利用においては,何らの落ち度なくある程度の勘違い等が生ずるのは不可避的なものである。

したがって,鉄道を視覚障害者も単独で利用することを前提としている以上は,通常起こりうる視覚障害者の落ち度のない勘違い等の事態に対応できて初めて当該鉄道施設・設備が「通常有すべき安全性」を具備しているといえるのである。

                                以 上


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