平成13年(ネ)第3719号 損害賠償請求控訴事件     控訴人      佐木理人          被控訴人 大阪市         準備書面(控訴審第1回)                          2002年2月5日  大阪高等裁判所              第6民事部D係  御中           控訴人代理人 弁護士  竹下義樹                          同           岸本達司                                   同           坂本 団                        同           高木吉朗                         同           山之内 桂                         同           伊藤明子                        同           和田義之                        同           石側亮太              記 第1 原判決の判断に欠落している基本的考慮要素  1 はじめに    原判決は,大阪市営地下鉄御堂筋線天王寺駅なかもず方面行きホーム (以下「本件ホーム」という)において発生した本件事故について,被 控訴人の責任を否定した。    後述するとおり,原判決には枚挙に暇がないくらいの法的判断及び事 実認定の誤りがあるが,まずここでは,原判決に完全に欠落してしまっ ている基本的に考慮すべき要素について論じる。    第1に,大量・高速輸送を目的とする公共交通機関においては,事故 発生を防止するために,人的物的設備を整備する高度の責任が課せられ ているという点である。    第2に,視覚障害者の社会的自立を図り,移動の自由を保障するとい う観点から,視覚障害者が,単独で公共交通機関を利用できるようにす ることは極めて重要な意義を有しており,そのために,公共交通機関の 事業者は,視覚障害者が利用した場合に駅ホーム等における事故発生を 未然に防止すべく人的物的設備を整備する責任を負うという点である。    第3に,本件事故当時,全国的にも駅ホーム等における点字ブロック の設置等の視覚障害者が単独利用する上での安全設備が相当普及した状 況にあり,大阪市営地下鉄においても,警告ブロック及び誘導ブロック などが一応整備され,視覚障害者が単独で利用することを前提としし, 現に多数の視覚障害者が単独で地下鉄を利用していたところ,大阪市営 地下鉄では視覚障害者のホームからの転落事故が多発していたから,被 控訴人としては,視覚障害者の事故を未然に防止し,安全を確保するた めに最大限の配慮をすべき高度の責任があった。    上記の各要素が,本件ホームの安全性を検討する上で考慮すべき極め て重要な基本的要素であることは多言を要しないところであり,控訴人 は原審においても主張してきたところであるが,原判決が上記の各要素 を考慮した形跡は全くなく,それが誤った判断に至った一因と考えられ る(安本典夫「点字ブロックの不存在と駅ホームの設置管理の瑕疵」・ 別冊ジュリスト・311頁も,点字ブロックの設備されていない駅ホー ムの安全性を考えるべき社会的水準の諸指標として上記第1及び第2を 挙げている)。    そこで,上記の各要素について次のとおり敷衍して主張する。  2 大量・高速輸送を目的とする公共交通機関の責任  (1)大量・高速輸送を目的とする公共交通機関は,一歩間違えば死傷等 の重大な事故が発生する危険性があるから,事故発生を未然に防止す るために高度の安全性確保義務を負っており,安全性の確保が他の何 よりも優先するものと解すべきである。     とりわけ,大阪市営地下鉄のように大都市において多数の乗客が利 用し,列車本数・頻度も多い被控訴人のような鉄道事業者は,列車の 運行等により事故が発生する危険性が相対的に高いといえる。     また,鉄道事業者は,改札口を通して運送を引き受けた以上,その 乗客が幼児,老人,身体障害者のいずれであっても(さらに言えば, 酒に酩酊した者であっても),すべての乗客に対して高度の注意義務 を負うことに留意されなければならない(野村好弘「視覚障害者のホ ーム転落事故と国鉄の賠償責任」−高田馬場駅事件を中心にして−・ 判例タイムズbR85・85頁参照)。  (2)これに対し,原判決(47頁)は,「一つの施設の設置又は管理の 瑕疵の有無を判断する場合,他の法益,例えば,本件との関連でいえ ば,大量,高速運送における円滑,安全な旅客の乗降等の法益との総 合考慮をすることは欠かせないことであるから,危険空間があるから といって,直ちにホームの設置又は管理に瑕疵があるとか,危険空間 を解消する措置を執らなかったことにより,直ちに法的責任があると いうことにはなら(ない)」と判示している。     上記判示は,「大量,高速運送における円滑,安全な旅客の乗降等 の法益」を「他の」法益としているが,本件では,晴眼者と同じ旅客 である視覚障害者の安全な乗降という法益が正に問題になっているの であって,「大量,高速運送における円滑,安全な旅客の乗降等の法 益」が何故「他の」法益となるのか全く理解に苦しむ。「大量,高速 運送における円滑,安全な旅客の乗降等の法益」には,「視覚障害者 の安全な乗降」という法益は含まれていないとでも言うのであろうか。 そうだとすれば,非常識極まりない判示である。     このように,「視覚障害者の安全性確保」と「円滑,安全な旅客の 乗降」という本来対立すべきものでないものを敢えて対置させる非常 識な発想に,原判決の不当性が端的に現れている。     仮に,原判決の上記判示を「設置又は管理の瑕疵を判断する場合に, 諸般の事情を総合考慮しなければならないから,危険空間があるから といって直ちにホームの設置又は管理に瑕疵があるとはいえない」と いう趣旨と善解したとしても,正当とはいえない。     すなわち,危険空間があると認められた場合,その危険に応じた適 切な安全対策がとられていなければ,設置又は管理に瑕疵があるとい わねばならず,仮に,ある安全対策をとることが困難な事情があった としても,それ以外の代替的な安全対策を講ずべきであり,危険空間 を全く放置することが正当化されることはあり得ないのである。本件 でいうと,仮に転落防止柵の設置が困難であれば,警告ブロックの設 置や駅員の配置その他の代替策を講じるべきであり,そのような代替 的な安全対策が講じられていない限り,設置又は管理の瑕疵は否定さ れないのである。  (3)鉄道事業者に対して厳しい安全性確保の責任が課されている例とし て,踏切道の保安設備の設置に関する判例がある。     最高裁昭和46年4月23日第二小法廷判決(民集25巻3号35 4頁)は,昭和34年,京王帝都井の頭線東大前駅と神泉駅との中間 の住宅地帯にある無人踏切で,満3歳の幼児が電車にはねられた死亡 事故による損害賠償事件について,次のとおり判示して民法717条 の工作物の設置上の瑕疵を肯定している。    「踏切道における軌道施設に保安設備を欠くことをもって,工作物と しての軌道施設の設置に瑕疵があるというべきか否かは,当該踏切道 における見通しの良否,交通量,列車回数等の具体的状況を基礎とし て,前示のような踏切道設置の趣旨を充たすに足りる状況にあるかど うかという観点から,定められなければならない。そして,保安設備 を欠くことにより,その踏切道における列車運行の確保と道路交通の 安全との調整が全うされず,列車と横断しようとする人車との接触に よる事故を生ずる危険が少なくない状況にあるとすれば,踏切道にお ける軌道施設として本来具えるべき設備を欠き,踏切道としての機能 が果されていないものというべきであるから,かかる軌道設備には, 設置上の瑕疵があるものといわなければならない。」    「所論は,運輸省鉄道監督局長通達で定められた地方鉄道軌道及び専 用鉄道の踏切道保安設備設置標準に従って保安設備を設ければ,社会 通念上不都合のないものとして,民法上の瑕疵の存在は否定されるべ きであるというが,右設置標準は行政指導監督上の一応の標準として 必要な最低限度を示したものであることが明らかであるから,右基準 によれば本件踏切道には保安設備を要しないとの一事をもって,踏切 道における軌道施設の設置に瑕疵がなかったものとして民法717条 による土地工作物所有者の賠償責任が否定さるべきことにならない。 そして,前記諸事情のもとにおいては,所論のような踏切利用の態様 の委細や警報機の設置に要する費用等を云々することによって,前記 判断の結論を左右しうるものとは認められない。」     上記のとおり,最高裁は,当該踏切道における見通しの良否,交通 量,列車回数等の具体的状況を基礎として,事故を生ずる危険が少な くない状況にあれば,保安設備を欠いた踏切道における軌道施設に設 置上の瑕疵があると判断している。このように事故発生の危険が少な くない状況にあれば瑕疵があると判断し,原判決のように他の鉄道事 業者における保安設備の設置状況等は一切考慮していないことに留意 されなければならない。     上記最高裁判決の解説は,「本判決の具体的判断態度は,企業側に 対して決して寛大ではない。本件踏切の1日の交通量は警報機の設置 を義務づけられる行政上の基準交通量には遥かに及ばず,交通がとく に頻繁な踏切とまではいいがたく,過去においてもそれ程重大な事故 が頻発すているわけではないようである。……それでも本判決の結論 の妥当性については,おそらく異論はないのではなかろうか。繰返し になるが,東京の都心に近い住宅地においてはこの程度の密度で電車 を走らせている企業としては,本件のような見通しの悪い場所に保安 設備のないままの踏切をおいていた以上,そこで生じた事故について は(それが昭和34年中の事故であることを念頭においても,)設置 上の瑕疵があるものとして責任を問われても,やむをえないところか と思われる。」と述べている(「最高裁判所判例解説」民事篇昭和46 年度・451頁)。     以上のとおり,最高裁が,鉄道事業者の安全性確保責任について厳 格な態度を示していることは,本件の判断に当っても十分考慮されな ければならない。  3 視覚障害者の社会的自立・移動の自由の保障  (1)現代国家において,人が社会的・経済的・文化的活動等に参加し, 自己を実現するには移動の自由の保障が極めて重要である。移動の自 由は社会参加の前提であり,人格的生存に不可欠の権利といえる。     このような移動の自由は,憲法22条1項及び13条により保障さ れていると解される。     ところが,各種の交通機関は,利用者が障害を持たない人であるこ とを前提として設計・運営されている現状にあり,自らは自動車等を 運転できない障害者も多いため,障害者は,移動の自由を享受できな い状況にあり,移動を制約されるがゆえに,自己実現や社会的自立が 著しく妨げられてきた。     そこで,障害者は,国,地方公共団体等に対し,円滑かつ安全に交 通機関が利用できるように適切な措置を講じるように求めるなど,移 動の自由が実質的に保障されるよう求める権利を有すると解すべきで ある。他方,国,地方公共団体等は,移動が制約されている障害者の 移動の自由を確保するために,様々な措置を講じ,配慮すべき義務が あるといわねばならない。このような社会権的な移動の自由は,憲法 25条・13条において保障されていると解される。     上記の障害者の置かれた状況及び憲法の要請を受けて,障害者基本 法が制定され,同法3条は,「すべて障害者は,個人の尊厳が重んぜ られ,その尊厳にふさわしい処遇を保障される権利を有する。」(同第 1項),「すべて障害者は,社会を構成する一員として社会,経済,文 化その他あらゆる分野の活動に参加する機会を与えられるものとす る。」(同第2項)と規定し,障害者の権利を定めている。    さらに,同法22条の2第1項は,「国及び地方公共団体は,自ら設 置する官公庁施設,交通施設その他の公共的施設を障害者が円滑に利 用できるようにするため,当該公共的施設の構造,設備の整備等につ いて配慮しなければならない。」と規定している。一方,同第2項は, 「交通施設その他の公共的施設を設置する事業者は,社会的連帯の理 念に基づき,当該公共的施設の構造,設備の整備等について障害者の 利用の便宜を図るよう努めなければならない。」と規定している。     以上のとおり,障害者基本法は,公共的施設の構造,設備の整備に ついて,国及び地方公共団体に対しては障害者が円滑に利用できるよ うに配慮すべき義務を定め,それ以外の事業者に対しては障害者の利 用の便宜を図るよう努力する義務を定めている。     よって,同じ交通事業者であっても,国及び地方公共団体は,努力 義務に止まらない,法的な配慮義務を負うことは明らかであり,地方 公共団体である被控訴人は,市営地下鉄の駅ホーム等施設の構造,設 備の整備等について,障害者が円滑に利用できるように配慮すべき義 務を負っているといわねばならない。このように,被控訴人は,交通 施設を設置管理する地方公共団体として,他の交通事業者以上に,障 害者の利用について高度の配慮義務を負うのである。  (2)視覚障害者を始めとする障害者の移動の自由を実質的に保障し,社 会的参加と自立を図るためには,障害者が公共交通機関を単独で安全 かつ円滑に利用できるように人的物的施設が整備されることが必要不 可欠である。障害者が公共交通機関を単独で利用できければ,常に介 助者を要することになり,結局,障害者の利用は大幅に制約されるこ とになるからである。     かつて,上野訴訟(東京地裁昭和54年3月27日判決)では,被 告(国鉄)側は,「そもそも旅客はすべて自己の安全維持のため必要 な行動をするよう心掛けるべきであり,被告はこれを信頼して運営し ており,駅設備についても盲人旅客のために特別の安全設備を施さね ばならないものではなく,これがないからといって駅ホームに瑕疵が あるものということはできない。」との「信頼の原則」を主張し,「鉄 道交通の社会的効用と危険性とを考えると,盲人といえども一般旅客 と同様自らその危険を防止するよう心掛けるのが当然で,特別の保護 を必要とする者は自ら介護者を同行すべきである。」旨主張した。     これに対し,前記東京地裁判決は,「外出の場合介護者が付き添え ば危険はないが,常にそれを期待することは困難で,またそれを期待 していては盲人の社会的自立が図られない。」と判示し,前記主張を 排斥した。     本件において,被控訴人は,上記のような信頼の原則の主張をして おらず,大阪市営地下鉄において,視覚障害者が単独で利用すること を前提としているから,視覚障害者が安全かつ円滑に利用できる人的 物的安全施設を整備していなければならないことになる。視覚障害者 が転落する危険のある場所については,当然,何らかの安全対策が採 られていなければならない。他方で,視覚障害者は,被控訴人が安全 対策を実施していることを信頼して利用することが認められるのであ る。     ところが,原判決(60頁)は,「上記の警告ブロックの設置の趣 旨,目的等からすれば,原告の行動が安全設備の設置者の期待に反す る行動であったという点において,営造物の設置又は管理の瑕疵の有 無の判断に際して,これを否定的な事情として考慮することはやむを 得ないものというべきである。」と判示して,視覚障害者が安全対策 が十分になされていると信頼することを許さず,設備が不十分であっ たことの責任を視覚障害者に帰してしまっている。     上記のような判示は,障害者の移動の自由の実質的保障や障害者基 本法が定める趣旨に明らかに反する不当なものであって,原判決が無 理解であることを端的に示している。  4 点字ブロックの普及とホーム転落事故の多発 (1) 駅ホームの縁端部に沿って点字(警告)ブロックを敷設することは,視 覚障害者が駅ホームから転落する事故を防止する上で有効とされ,昭和50 年代以降,全国的に駅ホームに点字ブロックが敷設されるようになっていっ た。本件事故当時,全国的にも駅ホーム等における点字ブロックの設置等の 視覚障害者が単独利用する上での安全設備が相当普及した状況にあった。具 体的には,平成4年度末現在の整備状況は,JR(4666駅)43.3%, 私鉄大手15社(1768駅)95.2%,営団・公営地下鉄(490駅) 100%,これらの合計(総駅数6924)60.6%となっていた。    これらの敷設状況によると,本件事故当時,少なくとも都市部の駅ホー ムにおいては,点字(警告)ブロックがほぼ100%敷設されていたものと 推認できる。大阪市営地下鉄においても,本件事故当時,各駅のホームに警 告ブロック及び誘導ブロックが一応整備されていた。  (2)以上のとおり,点字ブロックが全国的に普及し,視覚障害者が鉄道 を単独で利用することが当然になっている。大阪市営地下鉄において も点字ブロックが整備され,多数の視覚障害者が単独で大阪市営地下 鉄を利用している。    点字ブロックが整備されれば,視覚障害者が駅ホームから転落する 事故はなくなる筈であるが,実際には,視覚障害者のホームからの転 落事故が多発している。    視覚障害者のホームからの転落事故は多発していることは,原審に おいても強調したところであるが,再論すると,平成4年の調査では 鉄道を利用する視覚障害者109名中25名が転落した経験があり, 延べ転落回数は45回にのぼっている(甲・35頁)。平成6年12 月から平成8年9月までの間に駅ホームから転落して死亡ないし重傷 を負った視覚障害者は,少なくとも11名にのぼっており,うち9名 が死亡している)(甲30D)。さらに,平成6年に視覚障害者団体が, 視覚障害者100人に調査したところ,3人に2人がホームからの転 落を経験していた(甲30D)。    大阪市営地下鉄においても,平成元年から平成7年10月の本件事 故までの約7年間に,少なくとも25件の転落事故が発生し,うち3 名が死亡している。    このように,点字ブロックの敷設後もホームからの転落事故が多発 し,死亡や重傷といった重大な結果となっている状況に鑑み,交通事 業者は,転落事故発生の危険性を十分に認識し,点字ブロックを敷設 するだけで事足れりとするのではなく,視覚障害者にとって転落の危 険箇所をなくすことは当然として,点字ブロックの敷設方法の改善や 転落防止柵の設置,視覚障害者に対する人的なサポートを実施するな ど可能な限りの安全対策を講じるべき状況にあった。そのために,交 通事業者は,自社の駅ホーム等の設備を視覚障害者の立場に立って常 に点検を行い,不都合な箇所を是正し,特に転落事故が発生した場合 は,その事故原因を究明し,施設・設備の問題点や改善すべき点を検 討し,必要な改善策を実施するなど,単独で地下鉄を利用する視覚障 害者の事故を未然に防止し,安全を確保するために最大限の配慮をす べき高度の責任があったというべきである。     ところが,原判決は,上記のように視覚障害者の転落事故が多発し ている状況において,被控訴人が負うべき安全確保の責任を明確に認 定せず,結局,転落事故が多発している現状を放置しても被控訴人は 何ら責任を負わないという結論を導いており,不当極まりない。  5 安全設備の設置方法とこれに関する法的規定の有無    原判決(49頁)は,列車前部の停止位置から前方何メートル以内は 転落防止柵を設けず,その範囲内では停止車両を後退させない扱いとす るかについては,特別の法的規定はなく,各交通事業者において,駅の 立地条件,乗客数の数,駅の形状,ホームの構造,乗降客の流れ等を考 慮して適宜定めているのが実情であり,基本的には,各交通事業者の政 策的判断であると判示し(49頁),警告ブロックをどこに,どのよう な形状で設置するか等,警告ブロックの設置方法については,法令上, これを具体的に定めた規定はないことからすれば,基本的には,視覚障 害者の歩行の安全性を配慮した,各交通事業者の政策的判断にまかされ ているものというべきであると判示している(51頁)。    このように,原判決は,転落防止柵及び警告ブロックの設置方法につ いて,法令上の規定がないことから,各交通事業者の政策的判断に委ね られていると速断している。    しかしながら,法令上の規定がないからといって,各交通事業者の政 策的判断であるとして広範な裁量を認めることには論理の飛躍があり, 根拠も極めて薄弱である。そもそも,安全の確保はいわば絶対的な要請 といってもいいから,視覚障害者の安全に深く関わる転落防止柵及び警 告ブロックの設置方法が,これに関する法令上の規定がないからといっ て,直ちに広い裁量が認められる政策的判断に委ねられるとするのは失 当である。    前述したとおり,鉄道事業者には,高度の安全性確保の責任が課され ているところ,特に,視覚障害者が単独で利用することを前提として警 告ブロック等を設置し,視覚障害者を安全に運送することを引き受けて おり以上,視覚障害者が単独でも安全に利用できるように人的物的施設 を整備すべき責任があるといわねばならない。しかも,被控訴人は,地 方公共団体であり,障害者基本法において,民間の交通事業者とは異な り,障害者が円滑に利用できるように施設を整備する法的な責任を負う 立場にある。    原判決は,上記のような被控訴人が負っている高度の安全確保義務や 地方公共団体としての立場を全く無視したもので,失当であることは明 白である。 第2 原判決の判断枠組み・判断手法の誤り  1 原判決の判断枠組み・判断手法    原判決は,国家賠償法2条1項の損害賠償責任について,営造物の設 置又は管理の瑕疵とは,営造物が通常有すべき安全性を欠く状態をいい, かかる瑕疵の存否については,当該営造物の構造,用法,場所的環境及 び利用状況等諸般の事情を総合考慮して具体的個別的に判断すべきであ るとした上で,「駅のホームにおいて,転落防止柵,警告ブロック,立 入禁止柵等の安全設備により囲まれていない空間は,視覚障害者にとり, 線路に転落する危険のある空間というべきものであり,これを放置する ことなく,できる限り解消することが望まれる。」としながら,「危険な いし安全という概念は相対的なものであり,一口に危険空間といっても 一義的に定まるものではなく,……果たして危険空間といえるかどうか, 仮に危険空間といえたとしてもその危険性の度合い等は様々に異なるも のであり,……一つの施設の設置又は管理の瑕疵の有無を判断する場合, 他の法益……との総合考慮をすることは欠かせないことであるから,危 険空間があるからといって,直ちにホームの設置又は管理に瑕疵がある とか,危険空間を解消する措置を執らなかったことにより,直ちに法的 責任があるということにはならず,結局のところ,上記のとおり,当該 営造物の構造,用法,場所的環境及び利用状況等諸般の事情を総合考慮 して,具体的個別的に瑕疵の有無を判断することに帰着するものという べきであると判示している(46〜48頁)。    その上で,原判決は,転落防止柵の不設置,警告ブロックの不延長, 立入禁止柵の不設置及び駅員の不配置について,個別的に合理性の有無 や問題性についての判断をし,本件ホームの設置又は管理の瑕疵を否定 している。  2 原判決の判断枠組み・判断手法の誤り(その1)  (1)上述した原判決の判断枠組み・判断手法の誤りとしては,第1に, 本件ホームの瑕疵の判断基準について,諸般の事情を考慮して総合考 慮して具体的個別的に瑕疵の有無を判断するという抽象的な基準を繰 り返すだけで,如何なる要素を考慮すべきかについて判断基準を全く 定立できていない点がある。原判決は,瑕疵の判断基準を明確に定立 しなかった結果,瑕疵を否定する事情のみを恣意的かつ無原則に列挙 して,瑕疵を否定する結論を導いてしまっているのである。  (2)原審の原告準備書面でも引用した最高裁昭和55年9月11日第一 小法廷判決(判例時報984号65頁)は,港湾施設の建設工事中で あった埋立地内の道路を夜間走行していた自動車が岸壁から転落して 運転者が死亡した事故においてその埋立地の管理の瑕疵が問われた事 案について,「国家賠償法2条1項にいう公の営造物の設置又は管理 の瑕疵とは,営造物が通常有すべき安全性を欠くことをいうのである が,当該営造物の利用に付随して死傷等の事故の発生する危険性が客 観的に存在し,かつ,それが通常の予測の範囲を超えるものでない限 り,管理者としては,右事故の発生を防止するための安全施設を設置 する必要があるものというべきである。」と判示している。     上記最高裁判決のとおり,転落事故における営造物の瑕疵の判断に 当っては,営造物の利用に関して事故が発生する危険性が客観的に存 在するかどうか,それが通常の予測の範囲を超えるものかどうかが第 一次的な判断基準となるというべきである。  (3)芝池義一教授は,転落事故における国家賠償法2条1項の責任につ いて,「国家賠償法2条1項に基づく国の責任の前提は,公の営造物 に関する危険の存在である。すなわち,危険が存在しなければ,安全 性の有無を問う前提が欠けることになり,国の責任を問う余地も存在 しない。」とした上で,「危険について一般に国の責任が認められるわ けではなく,国民が自ら容易に対処または回避することのできる危険 及び国民自らが招いた危険及び国民自らが近づいた危険については, 国民の自己責任が認められ,さらに,危険が一定の社会性ないし公的 性格をもっていなければならず,無謀な行動とはいえず,予測不可能 なものではないが,社会的にみてそう多くは見られない『特異な行 動』による被害について国の責任は認め難い。」と述べる(「転落事故 と国家賠償責任」・ジュリスト993号・142頁)。     芝池教授の見解も,転落事故発生の危険が営造物の設置又は保存の 瑕疵の要件ないし判断基準となることを前提としている。  (4)上記のとおり,判例・学説は,転落事故発生の危険の存在が営造物 の設置又は管理の瑕疵の要件としている。ところが,原判決は,本件 ホームにあった転落防止柵,警告ブロック,立入禁止柵等の安全設備 により囲まれていない,視覚障害者が転落する危険の高い空間(「危 険空間」)について,「線路に転落する危険のある空間というべきもの であり,これを放置することなく,できる限り解消することが望まれ る。」としながらも,「危険ないし安全という概念は相対的なものであ り,一口に危険空間といっても一義的に定まるものではない」,「果た して危険空間といえるかどうか,仮に危険空間といえたとしてもその 危険性の度合い等は様々に異なるものである」,「他の法益との総合考 慮をすることは欠かせないことであるから,危険空間があるからと    いって,直ちにホームの設置又は管理に瑕疵があるとか,危険空間を 解消する措置を執らなかったことにより,直ちに法的責任があるとい うことにはならない」などと述べるだけで,上記空間が視覚障害者が 転落する危険の高い空間といえるかどうかについて明確な判断を示し ていない。     原判決が指摘するように,転落の危険といってもその危険の内容や 程度には様々なものがあることまで否定するものではないが,原告が 指摘した「危険空間」において視覚障害者が転落する危険が存在する のか,その危険が通常の予測の範囲内か否かについては判断が可能で あるし,その判断なくしては,瑕疵の要件を充たしているか否かの検 討をすることはできず,原判決がいうような他の法益との総合考慮も できない筈である。     なお,原判決(59頁)は,天王寺駅の周辺の視覚障害者関連施設 が天王寺駅のすぐ近くに所在するわけではなく,平成元年から本件事 故発生までの天王寺駅における視覚障害者の転落事故が25件のうち 2件に止まることから,天王寺駅のホームが視覚障害者の利用度との 関係で視覚障害者の事故発生の危険度が高かったとまでは認め難いと 判示しているが,これは「危険空間」の危険性の有無の認定ではない ことは明らかである(この判示自体の不当性・非常識性は後述する)。  (5)以上のとおり,当審においては,原判決が明確な判断をしなかった 「危険空間」において視覚障害者の転落事故が発生する危険性が客観 的に存在するかどうか,それが通常の予測の範囲を超えるものかどう かがまずもって判断されなければならない。     その上で,上記危険が通常の予測の範囲と認められた場合は,その 危険を防護するための安全施設を設置する困難性の有無などについて 検討し,瑕疵の有無が判断されるべきである。  3 原判決の判断枠組み・判断手法の誤り(その2)    (1)原判決は,転落防止柵の不設置,警告ブロックの不延長,立入禁止 柵の不設置及び駅員の不配置について,各安全対策を個別的に切り離 して合理性の有無や問題性についての判断をし,本件ホームの設置又 は管理の瑕疵を否定している。しかしながら,このような判断手法は 明らかに誤っている。  (2)原告は,視覚障害者に対する駅員による誘導・介助や本件ホームに 駅員が立哨していない状況において,原告が転落した本件ホームの終 端部分に,転落防止柵,警告ブロック及び立入禁止柵がいずれも設置 されていなかったことを瑕疵として問題にしているのである。     したがって,これらがいずれも設置されていないことを全体的・総 合的に評価して瑕疵の有無を判断すべきである。原判決は,瑕疵の有 無の判断においては諸般の事情を総合考慮することが必要と判示しな がら,上記の安全対策のいずれもが一切採られていないことを総合考 慮して判断しておらず,全く首尾一貫していない。  (3)視覚障害者の駅ホームからの転落を防止するための安全対策として いくつかの対策が考えられる場合に,仮にある対策を講じることに困 難な事情が認められるのであれば,他の代替的な対策を講じる必要性 が当然高まるのであり,そのような高度の必要性を前提として,その 代替的対策を講じることに別の困難な事由が認められるのであれば, それも考慮して,代替的な対策を講じていないことが瑕疵に該当する かどうかが検討されなければならないのである。     このような安全対策の個別的な検討を経た上で,さらに全体的・総 合的に評価して,瑕疵の有無が判断されなければならないのである。     以上の判断手法によると,個々の安全対策が採られなかったことの 合理性を個別的に判断した場合とは異なる結論に至った可能性が高い ことは明らかである。  4 原判決の判断枠組み・判断手法の誤り(その3)  (1)原判決の立場  原判決(49頁)は,転落防止柵の設置について,「上記認定のとおり,本 件事故当時の被告以外の交通事業者等の駅ホームにおける転落防止策の設置 状況は,必ずしも明らかではないが,本件事故後約1年以上(東京都営交通 や帝都高速度交通団においては約4年以上)経過した後においても,転落防 止柵が設置されていないホームや,ホーム縁端部に転落防止柵も警告ブロッ クも設置されていないホームが相当数存在したこと,かつ,天王寺駅よりも 1日あたりの乗降客数が多いと思われる地下鉄駅においても,転落防止柵が 設置されていないホームが相当数存在していたことが認められることからす れば,本件事故当時,列車停止位置前方に転落防止柵を設置することが標準 的なものとして広く普及していたとはいえず,本件ホームの列車停止位置前 方からホーム東側終端部までの間に転落防止柵が設置されていなかったから といって,他の交通事業者等のホームにおける設置管理状況と比較して,特 に劣っていたものとは認め難い。」と判示している。     また,警告ブロックの設置についても,同様に他事業者の事例をあげた上 で,「本件事故当時,本件ホームの警告ブロックが上記のとおりL字型に屈曲 してホーム北側の壁に接続され,ホーム東端終端部まで接続されていなかっ たことが,他の交通事業者等の設置管理するホームにおける設置状況と比較 して,特異な設置方法であったとか,視覚障害者のホームからの転落防止設 備として特に劣っていたものとは認められない」(52頁)と判示する。     このように,原判決は,他の交通事業者との比較において,ホームの転落 防止柵及び警告ブロックの設置状況が特に劣っていたとは認められないこと を理由に,被控訴人のホーム設置管理状況に瑕疵はなかった旨判示している。     かかる原判決の判断は,次の2つの点で致命的に誤ったものであるといえ る。すなわち,@他の交通事業者との比較,すなわちいわゆる「水準論」を おいて本件において採用していること,Aソフト・ハード両面における視覚 障害者の安全確保対策を総合的に検討せず,もっぱら,設備(ハード)面に おいてのみ瑕疵を判断していること,である。以下,それぞれについて詳述 する。  (2)「水準論」を用いるべき事例ではないことについて     原判決が採用するような,事件当時の他者のレベルを基準として過失の有 無を判断するといういわゆる水準論は,医療過誤事件等において採用されて いる判断手法である。     例えば,未熟児網膜症事件差戻審(平成9年12月4日大阪高裁)におい て「医療に従事する者は,人の生命及び健康を管理する業務の性質に照らし, 危険防止のために実験上必要とされる最善の注意義務を負担しているもので あり,右注意義務の基準となるものは,診療当時のいわゆる臨床医学の実践 における医療水準である。」と述べられているごとくである。     すなわち,医療行為のように知見や技術水準が日々進歩し,変わっていく 場面においては,事故の後に開発されたり,普及したりした医療技術を要求 することはできないのであるから,問題となっている当時に普及していた医 学的知見及び技術水準を考慮した上で,医療側に適切な処置を要求すること が可能であったか否かを検討しなければならない。したがって,かかる医療 訴訟等において,裁判例が水準論を用いるのは,理にかなったことであると いえよう。     しかし,本件事故当時において,駅ホーム上の防護柵や点字ブロックの設 置の瑕疵の判断に当って,かかる水準論を用いることが妥当とはいえない。            なるほど,防護柵や点字ブロックの存在が十分に認知されておらず,実際 にも普及していない時点,若しくは,防護柵や点字ブロックの設置に何らか の技術的困難が伴っていた時点において,防護柵や点字ブロック不設置や設 置方法の瑕疵を争うというのであれば,かかる水準論,すなわち,他事業者 との比較において瑕疵に該当するか判断するというのも不当とはいえないで あろう。     しかしながら,転落防止柵及び立入禁止柵については,平成7年当時に, これらが認知されていないとか,普及していないという事実はなく,その設 置に当たり技術的な困難も全くなかった。     次に,点字ブロックは,昭和42年に開発されて以来,国内の道路,公共 施設,及び駅構内等に急速に普及してきたものであり,原判決も認めるとお り,既に平成5年度末の段階で,私鉄においては96.9パーセントの駅で, 営団地下鉄,公営地下鉄においては100パーセントの駅で点字ブロックが 敷設されていたから,本件事故当時には,点字ブロックは当時十分に認知さ れ,実際に普及しており,技術的な困難もなかった。     したがって,原判決が,まるでホーム終端部分に点字ブロックや転落防止 柵を設置することに,未開発あるいは高度な技術が必要であったかのように, 医療過誤事件等における水準論を持ち出し,他の事業者においてホーム終端 部分への柵や点字ブロックの設置が十分でないことを根拠として,ホームの 設置管理の瑕疵を否定することは失当である。ホーム上に柵をつけること, 点字ブロックを敷設することが技術的に可能であり,かつ必要なものとして 認知されているのなら,あとは個々の駅ごとに,視覚障害者の歩行の安全が 実質的に保護されるように,柵,ブロックを設置しなければならないのであ る。     本件は,視覚障害者が転落する危険のあった駅ホームの危険空間を放置し, 何らの安全対策を講じていなかったことを瑕疵と問題にしているから,幼児 や児童が転落する危険のある池や水路において防護柵等が設置されていない ことを瑕疵と問題にする事例と同様であり(このような事例では,過去の裁 判例においても瑕疵の判断において水準論は全く採用されていない),瑕疵の 判断において水準論を持ち出すべきではない。     しかも,他の事業者も同じ状況にあることを理由に,安全対策の不備を免 責すると,個々の事業者が,視覚障害者の転落事故を検討し,人的物的設備 を改善する努力をする必要がないことになってしまい,安全対策の充実を妨 げるばかりか,横並び意識を助長させるのみである。     本件では,大阪市営地下鉄における本件駅のホーム終端部において,視覚 障害者の歩行の安全が図られているか否かという点のみをもって,ホーム設 備の瑕疵を判断すべきであったのである。     以上のとおり,原判決が水準論を持ち出したことは,本件における判断手 法の選択を誤ったものである。  (3)設備(ハード)面においてのみ判断している点について  原判決は,単に,ホーム終端部における転落防止柵の設置状況及び点字ブ ロックの敷設の有無をもって,他の事業者と比較としている。     しかしながら,視覚障害者の歩行の安全が確保されているかを判断するに 際しては,設備(ハード)面のみ考慮するのでは足りず,ソフト面,つまり ホームにおける駅員の人的対応をも考慮しなければならないことは当然であ る。後述するとおり,例えば,近畿日本鉄道株式会社においては,確かに    ホーム終端部における転落防止柵の設置,点字ブロックの敷設においては, 大阪市営地下鉄と同様に不十分な点があるものの,駅員の人的対応によって, これをカバーしているのである。     本件において,他の交通事業者との比較水準論が意味をなさないのは前述 したとおりであるが,たとえ比較するにしろ,視覚障害者の歩行の安全が全 体としてどの程度保護されているかという観点から,駅ホームごとに設備 (ハード)面,ソフト面あわせた形で総合的に判断すべきであって,原判決 のように,転落防止柵の設置状況,点字ブロックの敷設状況のみをもって, 瑕疵の有無を正しく判断することはできないといわねばならない。  5 原判決の判断枠組み・判断手法の誤り(その4)  (1)控訴人の歩行についての原判決の評価     ア 原判決は,控訴人が「本件事故当日,梅田駅での乗車位置を確認せず,  そのため天王寺駅での降車位置を勘違いし」たことについて,「これ をもって,本件事故惹起に関する原告の過失とまで評価するのは,酷と いうべきであって,相当ではない。」としており,控訴人に過失はない と判断している(原判決60頁)。      一方で,原判決は,控訴人が乗車位置・降車位置の勘違いを前提とし て警告ブロックの屈曲部分を通過した行動をとらえて(なお,原判決は 控訴人が屈曲部分を通過した点について「踏み越えた」と認定している が,後述のとおり必ずしも正確ではない),「安全設備の設置者の期待 に反する行動であった」として,「営造物の設置又は管理の瑕疵の有無 の判断に際して,これを否定的な事情として考慮することはやむを得な い。」とする。(原判決60頁)。    イ しかしながら,まず,営造物の設置管理の瑕疵の有無について,客観 的な危険性の判断であるべき瑕疵の判断において,利用者の行動が「安 全設備の設置者の期待に反するものであった」か否かは考慮すべき要素 となり得ない。      営造物の設置管理の瑕疵についての他の裁判例においても,原判決の ように,利用者の行動が「安全設備の設置者の期待に反した」か否かが 瑕疵の有無の判断要素とされた例は見あたらない。営造物の設置管理の 瑕疵の判断にあたって考慮され得る利用者の行動とは,それが営造物の 通常の用法に即しない行動であったか否か,その行動が設置管理者にお いて通常予測することができないものであるか否かということである (最高裁第三小法廷昭和53年7月4日判決,民集32巻5号809 頁)。そして,通常予想し難い異常希有な事態でない限り,瑕疵を認定 し,営造物の瑕疵と損害との因果関係を肯定するのが裁判例の傾向なの である(原審準備書面(第8回)3〜8頁)。    ウ 以上の点をおくとしても,原判決が控訴人の行動に過失はないと評価 しながら,これを瑕疵の有無の判断に際しての否定的な事情として考慮 することは,論理矛盾であって,許されない。      何ら過失と評価されない行動を,営造物の瑕疵の判断にあたって否定 的要素するのは,まったく不合理であるばかりか,実質的に控訴人に過 失を認めたに等しくなってしまうからである。      原判決は,安全設備の設置者の「期待」という曖昧な概念を持ち出し て,控訴人がかかる「期待」に反したとするが,当該利用者が設置者の 主観的な期待に反したからといって,何ら過失のない行為が,営造物の 瑕疵を否定する要素となるのは理解できない。    エ そもそも,本件において,被控訴人は,触知を続けていたホーム縁端 警告ブロックが触知できなくなったことが危険の表示であり,その危険 の表示と警告が縁端警告ブロックを覚知できない限り続いているといえ るから,本件事故の原因は,控訴人がホーム縁端警告ブロックを触知で きなくなったにもかかわらず,そのまま進行したことにあるとして,本 件事故の原因は,控訴人の歩行にあると主張していた(被告準備書面 (五)7頁以下)。      これに対し,控訴人は,控訴人の歩行方法に何ら問題はなく,本件事 故原因は安全施設を設置せず,危険空間を放置した被控訴人にあると主 張した。      原判決は,これらの主張に対して正面から判断をすべきであったが, 何故か全く判断を示していない。      上記の被控訴人の主張どおりに認定するのであれば,本件ホームの瑕 疵が否定される結論になることは首肯できるが,控訴人の歩行に過失は ないが,設置者の「期待」に反したからといって,何故,設置又は管理 の瑕疵の有無の判断に際して否定的な事情として考慮されることになる のであろうか。設置者は,視覚障害者がホームから転落しないように歩 行して欲しいと「期待」するのはある意味で当然と考えられるが,視覚 障害者がそのような「期待」に反したからといって,何故,瑕疵を否定 する事情として考慮されることになるのか,全く理解に苦しむ。      控訴人の歩行方法を瑕疵の判断に当たって否定的事情として考慮する ためには,当該視覚障害者の歩行が,単独歩行をしている一般的な視覚 障害者を基準としても,落ち度があると判断される必要があるというべ きである。      このような判断を避け,「期待」に反したという曖昧な根拠で,瑕疵 を否定した原判決は不当極まりない。      いずれにしても,本件では,視覚障害者の歩行についての理解が極め て重要であることは論を待たないところ,原判決の誤った判断の原因は, 結局のところ,以下のような視覚障害者の歩行についての無理解にある と考えられる。  (2)乗車位置の確認について    ア 原判決は,まず,「原告は,本件事故当日,梅田駅での乗車位置の確 認をせず,そのため,天王寺駅での降車位置を勘違いしており,これが 本件事故につながった理由の一つともいえる」と認定している(原判決 60頁)。      また,原判決における「本件事故態様」の認定の中では,「原告は, ・・・急いで列車に乗車したため,乗車位置を確認できなかった」と表 現されている(原判決25頁)。      これらからすれば,原判決は,視覚障害者は事故防止のために乗車位 置・降車位置を確認すべきである,ないしは乗車位置・降車位置の確認 が事故を防止するための自衛策であるとの立場に立っているものと思わ れる。    イ しかしながら,原審において詳細に述べたとおり(原告準備書面(第 7回)・3〜5頁,原告準備書面(第8回)・29〜30頁),視覚障 害者であれ晴眼者であれ,乗車位置を確認すべき義務はない。      まして,視覚障害者に限って乗車位置を決めておいてこれを確認しな ければならない義務はなく,また,そうすることが現実的に不可能な場 合や,必ずしも安全であるとはいえない場合があることも,既に述べた とおりである。      したがって,原判決には,まずもってこの点の認識・理解に誤りがあ るというべきである。    ウ そして,控訴人は,乗車位置を確認しようと思った,ないしは確認し たかったのに,急いでいたためにできなかったのではなく,単に,本件 事故当日,いつもと異なる乗車位置から乗車したというだけで,これは ごくごく普通の何の問題もない行動である。      つまり,控訴人が乗車位置を確認しなかったことは,何ら本件事故に つながるような行動ではないのである。      この点,「・・・これが本件事故につながった理由の一つともいえ る」と判断した原判決は,決定的に誤っている。  (3)ホーム縁端警告ブロックの屈曲部分を通過したことについて    ア 原判決は,上記のとおり,控訴人が乗車位置・降車位置の勘違いを前 提として警告ブロックの屈曲部分を通過した行動をとらえて,警告ブ     ロックの設置の趣旨,目的等からすれば,控訴人の行動は「安全設備の 設置者の期待に反する行動であった」と評価している(原判決60頁)。    イ まず,原判決は,控訴人がホーム縁端警告ブロックの屈曲部分を通過 した際の態様について,何の根拠もなく,「・・・警告ブロックを左足 でふんだものの,警告ブロックの存在に気づかず・・・」と認定してい る(原判決26頁)。      しかし,控訴人が警告ブロック(ホーム内側方向に屈曲したブロッ ク)を左足で踏んだという証拠はなく,警告ブロックを踏んだのか,ま たぎ越したのかについては,証拠により確定することはできないという べきである(原告準備書面(第8回)・32〜33頁参照)。      この点,原判決の認定の誤りは明白である。    ウ 次に,原判決のいうところの「安全設備の設置者の期待」とは,「交 通事業者が警告ブロックを設置した場合,視覚障害者に対しては,警告 ブロックを越えないように行動することを期待している」(原判決50 頁)とのことを指すものであろう。      しかし,原判決も認めるように「警告ブロックの幅から見てこれを踏 み越えやすい面がある」(原判決60頁)こと,また警告ブロックにつ ま先や踵だけがかかった場合は警告ブロックを検出することはできない ことからすれば(村上証言49頁),ごく普通に歩行している視覚障害 者が,常に警告ブロックを越えないように歩行することは不可能であり, これを踏み越したり,またぎ越したりする可能性が十分にあるのである。      控訴人も,視覚障害者としてごく普通に歩行していたところ,警告ブ ロックの屈曲部分を通過して進行したのであり,控訴人の歩行には何の 問題もない。      したがって,上記の警告ブロック超えないように期待すること自体, 視覚障害者に対して不可能を強いるものであり,正当な期待とは到底い えない。  (4)原判決の認定の誤り    ア 以上のとおり,控訴人の行動には,原判決も認めるとおり,過失と評 価されるような事情は全くない。      それにもかかわらず,これを「安全設備の設置者の期待に反する行動 であった」として,営造物の設置管理の瑕疵の有無の判断に際しての否 定的な事情として考慮したのは,平たく言えば,「点字ブロックがL字 型に引いてあるのだから,気をつけて歩いていればこれに沿って歩くの が普通だろう。」という勝手な思いこみに基づくものではなかろうか。      このことは,本件警告ブロックの設置方法について,「・・・視覚障 害者を転落等の危険から遠ざけて安全な方法(ママ)に誘導し,警告ブ ロックによる危険表示を与えられないままホーム縁端部から転落するこ とがないように配慮した設置方法であると認められれる」(原判決51 頁)と認定していることからも窺われる。警告ブロックは危険の表示で あって,安全な方向へ誘導する機能はないにもかかわらず(したがって, ブロックに沿って歩いたり,方向づけをすることは,警告ブロックの機 能ではない),原判決はこの点を混同しているのである。    イ また,原判決の視覚障害者の歩行に対する無理解は,視覚障害者の駅     ホーム歩行の際の「危険への対策」(原判決28頁)として述べられて いる一般論にもよく現れている。      原判決は,まず,「可能な限り晴眼者の介助による歩行が望ましい」 判示とするが,これが,駅員による介助というのではなく,視覚障害者 が外出する場合には介護者が常に付き添うことが望ましいということを 含んでいるとすれば,視覚障害者の社会的自立と単独歩行の重要性を看 過した時代遅れの発想というほかない。      次に,「白杖の先端を床面にすらせてホーム縁端や警告ブロックを触 知するスライド方式で使用すること」は,床面の性状や乗降客の状況に もよるのであり,必ずしも危険への対策とはなり得ない。      また,「他の場所よりもゆっくり歩行すること」や「列車から降車し たら列車からまず離れて,列車が発車して離れたことを確認してから次 の行動に移るようにすること」を,乗降客の流れに逆らってまで行うと すれば,かえって危険なことはいうまでもない。  (5)まとめ     原判決が示すとおり,警告ブロックを設置する趣旨は,取りも直さず 「警告ブロックを設置することで,視覚障害者に対し,警告ブロックを越 えた先には転落等の危険が存在するという危険を表示し(同時に,これを 越えない限り転落等の危険はないとの安全表示でもある。),視覚障害者 が警告ブロックを越えないように注意喚起を行い,もって,視覚障害者の ホーム縁端からの転落や列車との接触事故の発生を未然に防止すること」 にある(原判決51頁)。     一方で,原判決も認めるとおり,この警告ブロックが屈曲している箇所 では,「踏み越えやすい」面があるのである。     そうであれば,警告ブロックを踏み越えた場合,つまり警告ブロックが 危険表示として機能しない場合が容易に起こりうるのであり,他に転落防 止柵や駅員の配置などの安全設備がない限り,駅ホーム終端部分がたちま ち危険空間となることこそが重要なのである。 第3 営造物の設置又は管理に瑕疵があること  1 本件事故現場において視覚障害者が転落することは通常予測できたこ と  (1)先に引用したとおり,最高裁昭和55年9月11日判決は,「当該営造 物の利用に付随して死傷等の事故の発生する危険性が客観的に存在し,かつ, それが通常の予測の範囲を超えるものでない限り,管理者としては,右事故 の発生を未然に防止するための安全施設を設置する必要があるものというべ きである。」と判示し,最高裁昭和53年7月4日判決(民集32巻5号8 09頁)も,「本件幼児の転落事故は,……設置管理者である市において通 常予測することのできない行動に起因するものであったということができる。 ……したがって,右営造物につき本来それが具有すべき安全性に欠けるとこ ろがあったとはいえず,本件幼児がしたような通常の用法に即しない行動の 結果生じた事故につき,市はその設置管理者としての責任を負うべき理由は ない。」と判示している。     これらの最高裁判例によると,国賠法2条の瑕疵の判断に当たっては,事 故発生の危険性が客観的に存在し,そのような事故の発生が通常の予測の範 囲内にあると認められれば,事故発生を回避するための安全施設を設置すべ きであり,その設置がなされていなければ,原則として設置又は管理の瑕疵 が肯定されると解される。  (2)本件事故の発生が通常の予測の範囲内にあったか否か     本件事故現場において,@ホーム縁端部に警告ブロックも転落防止柵も設 置されておらず,視覚障害者に対してホーム縁端部であることであることを 表示し,その転落を防護する設備がなかったこと,A立入禁止柵(終端柵) が設置されておらず,視覚障害者に対してホーム終端部であることを表示し, 転落を防護する設備がなかったから,本件事故現場付近は,視覚障害者に    とってホームの縁端部ないしは終端部から線路へ転落する危険性のある「危 険空間」になっていたというべきである。     本件駅ホームの状況を前提とする限り,視覚障害者が「危険空間」に立ち 入ることを阻止する設備はなく(本件ホーム東側終端部壁に設置されていた 「立入禁止」の表示が視覚障害者に対して何の意味も持ち得ないことは明らか である),列車停止位置前方からホーム東側終端部までの距離が約5.2m であったから,列車に乗り降りする視覚障害者が上記危険空間に立ち入るこ とは容易に予測できた。そうである以上,視覚障害者の危険空間からの転落 事故の発生もまた当然に予測可能といわなければならない。  (3)原判決は,「確かに,駅のホームにおいて,転落防止柵,警告ブロック, 立入禁止柵等の安全設備により囲まれていない空間は,視覚障害者にとり, 線路に転落する危険のある空間というべきものである。」と判示し(47頁), さらに,「原告は,天王寺駅で降車後,東側に向かって歩行し,警告ブロッ クがL字型に屈曲して北側に延びているのに,これに気付かないままに歩行 をしたものであるところ,上記のとおり降車位置の勘違いを前提とした行動 であり,警告ブロックの幅から見てこれを踏み越えやすい面があることも否 定できず,その他視覚障害者の歩行特性を考慮すれば,これを取り分けて非 難すべきものとはいえない。」(60頁)と判示している。     これらの原判決の判示を前提とすると,視覚障害者がL字型に屈曲した部 分を超えて歩行し,危険空間に立ち入る可能性は十分に認められ,危険空間 においては転落の危険性があるから,危険空間となっていた本件事故現場か ら視覚障害者が転落する事故が発生することは,何ら希有なことではなく, 十分に通常の予測の範囲にあったといわねばならない筈である。  (4)大阪市営地下鉄では,平成元年から本件事故までに,少なくとも25件も の視覚障害者のホームからの転落事故が発生しており,本件と同様の危険空 間からの転落事故が少なくとも4件はあった。これらの類似事故は,視覚障 害者が危険空間に入り込み,危険空間からの転落事故が発生する危険が極め て高く,被告においてそのような事故が発生する危険性を容易に予測できた ことを端的に裏付けている。 本件においては,前記のとおり,視覚障害者が危険空間に進入し,危険 空間からの転落事故が発生することが予測できたか否かが問題になるから, 各事故と本件との事故現場の安全設備の状況等の類似性が最も重要な点にな る。この点,前記の4件の事故現場は,いずれも本件事故現場と安全設備の 状況において極めて類似しているといわざるを得ない。 これに対し,原判決(57頁)は,「上記4件の転落事故について検討す るに,転落原因は必ずしも証拠上確定できるものではない」とした上,それ ぞれの事故原因について,「盲導犬の誤導による可能性がある」,「転落者が 勘違いして足を踏み外した可能性がある」,「転落者の周囲の状況把握が不十 分であった可能性がある」,「転落者が死亡しているためそれ以上の詳細な事 故態様を調査することはかなり困難であった」などと述べ,前記4件の事故 に関し,事故原因を個別的・具体的に特定しようとした上,本件事故との類 似性を否定しようとする。 しかし,事故原因が個別的・具体的に特定できず,また,他の原因が寄 与していたとしても,危険空間からの転落事故である以上,少なくとも危険 空間から転落する可能性が十分あることは認識し,危険空間に警告ブロック や転落防止柵を設置すれば,転落を回避できたことも認識できた筈である。  このように,ある事故類型において,予測可能性の判断は一定程度抽象 化することができるのであって,本件事故について言えば,駅ホームに存在 する危険空間からの視覚障害者の転落という点まで抽象化できるのであり, その限度で過去の事故の例との類似性が見出せるのである。 しかも,上記4件の事故原因が十分に特定できないとすれば,それは, 専ら被控訴人の調査が不十分であったからにほかならない。被控訴人が,視 覚障害者の事故原因を調査した上で分析し,駅等の設備の安全性に関する評 価や改善などに役立てるという姿勢を持っておれば,事故原因が特定できな いということなどなかった筈である。このように,被控訴人が,鉄道事業者 として本来なすべき調査等を実施していなかったことにより,事故原因が十 分に特定できないとすれば,その調査不十分による不利益を控訴人に帰すこ とは不合理であるから,被控訴人が,調査・分析を尽くしておれば,事故原 因が危険空間にあったことが明らかになった可能性があり,危険空間からの 転落は十分に予測できたとの認定をすべきである。 いずれにしても,駅のホームの危険空間から視覚障害者が転落する事故 がしばしば起きているという事実こそが重要であり,このような事実が存在 する以上,被控訴人は,そのような事故の発生を防止するよう安全設備を備 えるべきである。   以下,原判決が指摘する四つの事故(原判決57頁)につき,具体的に 述べる。 ア 平成4年7月3日の事故(谷町線駒川中野駅の事故)   原判決は,「盲導犬と一緒に転落した事故であり,主たる原因は盲導犬 の誤導によるものである可能性が十分にある」と判示している。しかし, 「盲導犬の誤導の可能性」は,被控訴人が作成した事故報告書(甲14) の記載を鵜呑みにしたものに過ぎず,同報告書には,盲導犬が誤導したこ とを裏付ける事実は示されておらず,全くの推測に過ぎないと考えられる。   この事故の現場は,警告ブロックがホームの端まで敷設されておらず, 転落防止柵もないという,本件事故現場と危険空間性の点で極めて類似し た状況だったのであるから,この事故により,被控訴人は,危険空間から の転落事故の発生を十分に予測できた筈である。 イ 平成6年2月15日の事故(御堂筋線長居駅の事故)   原判決は,「当時の警告ブロックの設置状況などが明らかではない」から ・・・警告ブロックを通り越して転落したものと認めることはできない」とす る。   しかし,原審の裁判官が,平成6年2月当時の御堂筋線長居駅の警告ブ ロックの設置状況等が明確でないと考えるのであれば,原審において,被 告に対してその点を釈明すれば容易に明らかになった筈であって,そのよ うな釈明をするなどの事実解明の努力を一切しないで,設置状況等が明確 でないと安易に認定した原判決の事実認定の姿勢は,あるべき姿からほど 遠いというほかない。   むしろ,田宮証人は,上記転落事故がホームの端で転落防止柵も警告ブ ロックもないところで発生したことを認めていること(田宮・19頁), 被控訴人は,上記転落事故が発生した長居駅我孫子方面ホーム南端付近に は,転落防止柵がなかったことを認めており(平成12年4月10日付被 告準備書面(四)15頁),当時の警告ブロックの設置基準からしても  ホーム終端部まで延長されず,途中で屈曲していたと推測されることから しても,上記転落事故が,ホーム終端部の転落防止柵も警告ブロックもな いところで発生したものであることは明らかである。   よって,原判決の上記認定が事実誤認であることは明白である。   さらに,原判決は,事故報告書(甲15の2)に,「難波から1両目又 は2両目に乗車し,長居で下車(普段は中間の車両に乗車している)勘違 いし足を踏み外し,軌道に転落しました。」と記載されていることから, 「勘違いして足を踏み外した不注意の可能性が十分にある。」と認定して いる。   しかし,転落者が述べている「勘違い」とは,普段よりも前部に乗車した ために,降車後,ホームの終端部まで歩いて行ってしまったことを指して いると解するのが合理的である。そのために,警告ブロックも転落防止柵 もない危険空間に入り込んで,転落したと見るのが相当である。   原判決は,「勘違いをして足を踏み外した不注意の可能性が高い」と安 易に認定しているが,これでは,一体何をどのように勘違いしたというの か,全く不明というほかなく,この認定も余りにも粗雑というほかない。   仮に,原判決が言うように転落者に何らかの勘違いがあったとしても (その勘違いの内容自体不明であるが),終端部に転落防止柵や警告ブ  ロックが設置されておれば,転落を免れた可能性は否定できない。   以上のとおり,この事故の発生により,被控訴人は,危険空間からの転 落事故の発生を十分に予測できたというべきである。 ウ 平成6年12月5日の事故(四つ橋線西梅田駅の事故)   この事故も,点字ブロックも転落防止柵もない場所から転落したもので あり(このことは田宮証人も認めている。田宮・19頁),危険空間性は 本件事故現場ときわめて類似している。そしてこの類似性こそが,被控訴 人の「通常の予測の範囲」を決定付けるのである。   しかるに原判決は,「主たる事故原因は白杖を使用していなかったため 周囲の状況把握が不十分であったことによる可能性が十分にある」と認定 しているが,事故報告書(甲15の2)には,転落者の供述として,「私 は何時も杖を持っていますが,今日は常を何処に落としたか,又忘れたか わかりません。」と記載されており,転落したときに,白杖を持たずに歩 行していたとは断定できない。   しかも,仮に,転落したときに白杖を持っていなかったとしても,現に 転落防止柵も警告ブロックも設置されていない部分から転落した事実に照 らすと,ホーム縁端部に転落防止柵か,警告ブロックが設置されておれば, 転落を回避できた可能性は十分にある。   よって,このような事故が発していることから,被控訴人は,危険空間 からの転落を容易に予測できたというべきである。 エ 平成7年6月24日の事故(谷町線天王寺駅の事故)   この事故は,危険空間性のみならず事故態様も本件事故と酷似している。 原判決も,「白杖で縁端部警告ブロックを触知しながら歩行していたが, 警告ブロックが直角に屈曲していた部分で警告ブロックを覚知できなくな り,そのまま進行し,足を踏み外して転落した可能性もある」として,一 応は本件事故との類似性に言及する。しかし,原判決は,さらに続けて, 「もともとホーム縁端部を歩行していたため,単なる不注意で足を踏み外 して転落した可能性も十分にある」として,結局は本件事故との類似性を 否定してしまっている。   しかし,事故報告書(甲15の2)には,目撃者の供述として,「白い 杖を持った人の後を歩いていましたが,余りにもホームの端を歩いていま したので,危険だなーと思っていた時,反対側上りホームから何か大声で 叫ぶ人があり,振り向いた瞬間,私の前を歩いていた人が足を踏み外し, 線路上に転落しました。」と記載されているだけであり,転落者が単なる 不注意で足を踏み外して転落したと推測する根拠は極めて薄弱である。   むしろ,この転落事故が警告ブロックも転落防止柵も設置されていない ところで発生していること(このことは田宮証人も認めている。田宮・1 9頁),新聞記事(甲11・20頁)には,天王寺署の調査結果として 「点字タイルの線路寄り側をつえを持って歩いていたが,タイルが右側に 曲がっているのに気づかず,そのままホームを進み,足をすべらして線路 に転落。」と記載されていることからすると,転落した視覚障害者は,白 杖等により警告ブロックを触知しながら,警告ブロックの線路寄りを歩行 していた可能性が高く,警告ブロックが屈曲して,ホーム縁端部に警告ブ ロックが途切れたことが,転落の原因になったと認めるのが最も合理的で ある。   また,田宮証人は,視覚障害者がホームの終端付近において警告ブロッ クが屈曲しているために,これに気付かずに歩行し続けて,警告ブロック も転落防止柵もないところから転落する事故が発生していたことを被控訴 人が認識していたことを認めていること(田宮・20頁),何よりも,平 成7年6月24日の転落事故を契機として,警告ブロックを転落防止柵に 接続し,転落防止柵がない場合は,警告ブロックをホーム終端部まで延長 して,設置基準まで変更して,危険空間をなくすようにした事実こそが (田宮・20頁),警告ブロックが途切れていたことが前記の転落事故の 主因であり,被控訴人がそれを認識していたことを示している。   上記のとおり,この事故の転落原因は極めて明確であり,かつ,被控訴 人がその事故原因を認識していたことは明らかであるから(ここでは,客 観的に事故原因を確定できるか以上に,被控訴人が事故原因をどのように 認識していたかこそが重要であることはいうまでもない),転落原因が不 明であるとした原判決は,現に存在する証拠を一切無視し,経験則に著し く反したものである。これは,事実誤認などという生易しいものではなく, 原告を敗訴させるとの結論を持った原審裁判所が,自らの結論に適合させ るために,事実を捻じ曲げた認定をしたのではないかとの疑いすら抱かざ るを得ない。 オ まとめ   以上のとおり,危険空間において転落事故が発生したという類似性さえ 認められれば,本件事故の発生は当然に被告の通常の予測の範囲内にある というべきである。   特に,平成7年6月24日に発生した転落事故は,その余の事故にまし て本件事故と事故態様が似通っており,しかも死亡事故という悲惨なもの であった。   よって,この事故が発生した時点においては,ホーム終端部の危険空間 の除去は被告にとってもはや一刻の猶予もならない緊急の課題となってい たといわねばならない。  2 被控訴人の認識  (1)被控訴人は,平成7年6月24日に発生した谷町線天王寺駅事故を契機と して,同年9月までには,警告ブロックの設置基準及び転落防止柵の設置基 準を変更した。警告ブロックの設置基準は,ホーム終端付近に転落防止柵が ない場合は警告ブロックをホームの終端部まで延長し,転落防止柵がある場 合には警告ブロックを転落防止柵まで延ばして連続させることに変更され, 転落防止柵の設置基準は,列車の後部停止位置から転落防止柵を設置しない 範囲を5mから1mに変更された。     この設置基準の変更は,危険空間から視覚障害者が転落する危険性がある との認識を前提として,警告ブロックを延長し,転落防止柵の設置範囲を広 げることにより,危険空間の解消ないし縮小を目的としていたことは明らか である(田宮証言20・21頁)。 (2) ところが,原判決(54頁)は,「被告が,上記警告ブロックの設置方法を 変更したことが,従来の設置方法に安全上の問題があったからであったとま ではいえない(証人田宮も,上記転落事故を契機に転落が可能な箇所をでき る限り少なくしようとして警告ブロックをホーム終端部まで延長しようとし た旨の証言をするが,それ以上に,従前の警告ブロックの設置方法自体が不 十分なものであったから設置基準を変更したとは証言していない。)。」と判示 している。    しかし,従来の設置方法に安全上の問題がないのに,警告ブロックの設置 方法を変更する必要性はない筈であり,転落事故を契機として設置方法が変 更されたことからしても,従来の設置方法に安全上の問題があったことは動 かし難い事実である。    前記のとおり,原判決は田宮証言を引用するが,田宮証人の証人尋問の質 問者は,従前の設置方法が十分であったかどうかという直接的な質問してい ないから,従前の設置方法が不十分なものであったと証言していないとの引 用は全く不正確である。    田宮証人は,そこから転落する視覚障害者がいるので,警告ブロックを転 落防止柵に接続したことを認めているのであるから(田宮証言・21頁),ま さしく従来の設置方法に安全上の問題があったことを認めているにほかなら ない。 (3)原判決は,「平成7年9月からの安全設置基準の変更は,従前の転落防止柵 や警告ブロックの設置方法では危険であるというよりは,転落が可能な空間 をできる限りなくしていこうという観点であったことが認められる。」(58 頁)と判示し,さらに,「上記4件の転落事故の詳細な事故態様が不明であっ て,事故原因が正確に確定できない以上,上記各転落事故が存在したことか ら,被告には,視覚障害者の線路への転落の危険性の認識はあったとはいえ ても,被告において,更に視覚障害者の安全確保に努めるため,安全設備の 設置基準の変更を行ったと考えることもできるから,上記警告ブロックや転 落防止柵を設置していないこと等の本件ホームの安全設備の設置の現状につ き,視覚障害者の転落防止設備として法的に要求される安全性を欠いていた との認識があったとすることはできない。」(59頁)と判示した。    しかしながら,安全設置基準の変更により,転落が可能な空間をできるか ぎりなくすということは,従前の設置方法では転落する危険があり,安全と いえなかったことになるから,原判決の前記判示は,論理矛盾であり,理解 不能というほかない。    次に,前記のとおり,原判決は,被控訴人に視覚障害者の線路への転落の 危険性の認識はあったとはいえても,本件ホームの安全設備の設置の現状に つき,視覚障害者の転落防止設備として法的に要求される安全性を欠いてい たとの認識があったとすることはできないと判示しているが,これも信じ難 い判断の誤りである。すなわち,被控訴人に,視覚障害者が危険空間から線 路へ転落するとの危険性の認識さえあれば,設置又は管理の瑕疵を肯定する 前提としての認識として十分であり,その危険性を除去するための安全対策 を講じなければならないことになる。ところが,前記判示は,設置又は管理 の瑕疵を肯定する前提として,法的に要求される安全性を欠いていたとの認 識まで必要と解しているようであるが,これはいわゆる違法性の認識まで要 求する見解と考えられるが,一般に,故意の用件としても,このような違法 性の認識は不要と解するのが通説であって,瑕疵の判断に当って,違法性の 認識を問題とすべきではないことは明らかである。    このように,原判決は,瑕疵を否定するために,違法性の認識まで要求す るという極めて無理な解釈をしているといわねばならない。  3 被控訴人は十分な安全施設を設置していたとはいえない (1) はじめに    前記のとおり,最高裁昭和55年9月11日判決は,「当該営造物の利用に 付随して死傷等の事故の発生する危険性が客観的に存在し,かつ,それが通 常の予測の範囲を超えるものでない限り,管理者としては,右事故の発生を 未然に防止するための安全施設を設置する必要があるものというべきであ る。」と判示している。     前述したとおり,本件駅ホームにおいては,視覚障害者の転落事故が発生 する危険性があることは,十分に予測可能であったから,被控訴人としては, 視覚障害者の転落事故の発生を未然に防止するための安全施設を設置する必 要があったことになる。     しかし,次に述べるとおり,本件では,被控訴人がかかる安全施設を設置 していたとは,到底評価できない。  (2)物的設備の不備     原判決は,瑕疵の存否を判断するにあたって,「転落防止策の不設置」に問 題はないか(同48頁以下),「警告ブロックの不延長等」に問題はないか (同50頁),「立入禁止柵の不設置」に問題はないか(同56頁)といった 形で問題提起をし,それぞれ別々に検討を加えた上で,何れも被控訴人の政 策的判断の範囲内であって,瑕疵はないとの結論を導いている。     前述したとおり,このような判断の手法自体が不当であり,本件ホームの 構造を全体としてみた場合,すなわち,「列車停止位置前部からホーム東側終 端部までの間に転落防止柵が設置されておらず,警告ブロックが・・・L字 型に屈曲してホーム北側の壁に接続されており,ホーム東側終端部まで連続 して設置されておらず,ホーム東側終端部の壁とホーム縁端部との間隔が・ ・・空いていたが,その箇所に立入禁止柵が設置されておらず,さらには本 件ホームには駅員がいなかった」(原判決46〜47頁)という状態が,視覚 障害者の転落事故の発生を未然に防止するために十分な安全施設を設置して いると評価できるのか否かが端的に問われなければならないのである。     そうすると,本件ホームが十分な安全施設をそなえていると評価できない ことは明らかである。すなわち,視覚障害者が,本件の控訴人のように,    ホームの中央部付近等を歩行しているつもりで実はホームの終端部へ向けて 歩行してしまうということは十分にありうることであり,その場合,警告ブ ロックがL字型に屈曲して敷設されていたとしても,ブロックが一枚しか敷 設されていないと,当該視覚障害者が一歩でまたぎ越えてしまって,ブロッ クが屈曲していることに気付かないことも十分あり得る。すると,当該視覚 障害者は,必然的にホーム終端部の壁に突き当たるまで歩行を続けることに なり,ホームのどの付近を歩行しているのか知る由もない視覚障害者は,こ の段階でも自らの誤解に気付くことはできず,突き当たったのは,ホーム上 の柱か,階段の裏側の壁であると誤解することになる。当該視覚障害者は, 柱ないし階段の反対側に回り込もうとして,その壁に沿って,ホーム縁端部 の方向に歩行していくことになる。     その縁端部に,警告ブロック,転落防止柵及び立入禁止柵も設置されてい ないと,視覚障害者は,本件控訴人がそうであったように,ホーム縁端部に 近付きすぎていることに気付く機会を与えられないまま,ホームから転落し てしまう結果となる。     このように,上記した本件ホームの構造を全体として見た場合,やはり視 覚障害者の転落事故が発生する危険が十分に認められ,十分な安全施設を備 えていると評価できないことは明らかである。     そのことは,前記のとおり過去に類似の転落事故が相当数発生しているこ とからも裏付けられる。     防護柵や点字ブロックの設置方法にいくつかの選択肢があり得るとしても, それらを全体として見た場合,視覚障害者の転落事故発生を未然に防ぐのに 十分な設備であると評価できない以上,本件ホームの設置又は管理に瑕疵の あることは明らかである。  (3)人的対応の欠如     本件事故当時,本件ホームの物的設備が,視覚障害者の転落事故を防ぐの に十分でなかったことは前記のとおりであるが,そうだとすれば,事故を防 止するためには駅員の配置等人的に対応するほかないことになる。     この点,原判決(60頁)は「同駅の駅員の数等を考慮すると,本件ホー ムに常時駅員を配置する法的義務があったとはいえない」と判示した。     しかし,上記のとおり,本件ホームには視覚障害者がホームから転落する 危険のある危険空間があり,その危険空間に視覚障害者が入り込む可能性が 十分あったこと,本件事故当時,本件ホームに発着する列車は9両ないし1 0両編成と長く,車掌がホーム全体の安全を確認すること,特に,列車前方 の安全を確認することは困難であることから,本件ホームに立哨する駅員が いなかったことは,本件ホームの瑕疵を肯定する根拠になるといわねばなら ない。  (4)通達「視覚障害者への対応について」     被控訴人は,本件の数カ月前である平成7年6月24日に谷町線天王寺駅 で転落事故が発生したことを契機として,同年7月13日,視覚障害者に対 しては,改札係員が「一声」かけてホームまで付き添い,降車駅にも駅職員 が迎えに行くとの運転課長・営業課長通達「視覚障害者への対応について」 (乙38)を出している。これは被控訴人自身が,ホームの物的設備では視 覚障害者の転落事故の発生を防止できないことを自認し,これを補うものと して人的に対応することとしたものと考えられる。     しかし,この通達による方策も全く徹底されていなかった。平成7年7月 29日に発生した中央線森ノ宮駅の転落事故でも,また本件事故でも職員か らは「一声」はかけられなかった。この通達の徹底が極めて不十分であった ことは,通達を出した後もその徹底が通達されていることからも明らかであ る。     しかも,このような通達は視覚障害者に対して一切知らされておらず,視 覚障害者に対して,このようなサービスがあることさえ周知されていなかっ た。      したがって,この通達による視覚障害者に対する人的対応は,物的施設の 不備を補う安全対策としては全く機能していなかったというほかなく,この ような人的な安全対策の欠如点も,本件ホームの瑕疵を根拠付ける事実にな るといわねばならない。     ところが,原判決は,上記通達による対応について一切触れていない。上 記通達による人的対応は,視覚障害者の転落事故が続発するなかで,重要な 安全対策と位置付けられていた筈であり,前記のとおり,この対応が全く機 能していなかったことは,本件ホームの瑕疵を判断する上で重要な事情にな ることは明らかであって,控訴人は,原審においてもその旨主張していたに もかかわらず,原判決がこれを看過したことは,重要な事実に対する判断の 遺脱といわねばならない。  (5)警告ブロックの延長     本件ホームにおいて,その東側終端部まで警告ブロックが延長して敷設さ れており,また転落防止柵や立入禁止柵が設置されていれば,転落事故が完 全に防止することができるかどうかはともかく,視覚障害者の転落事故発生 の危険が著しく減少することは明らかである。前記(2)で述べた例でいえ ば,ホーム終端部の壁に突き当たり,それを回り込もうとして壁に沿って    ホームの縁端部の方向へ歩行した視覚障害者は警告ブロックや転落防止柵, 立入禁止柵の存在によって,そこがホームの縁端部であって危険であること, 向こう側に回り込むことができないこと,すなわち,自己の位置についての 認識が可能になるのである。     前述したとおり,被控訴人は,平成7年6月24日に発生した谷町線天王 寺駅事故を契機として,同年9月までには,警告ブロックの設置基準を変更 し,ホーム終端付近に転落防止柵がない場合は警告ブロックをホームの終端 部まで延長し,転落防止柵がある場合には警告ブロックを転落防止柵まで延 ばして連続させることになった。     このように,被控訴人において,警告ブロックを終端部若しくは転落防止 柵まで延長することに何らの支障や困難がなかったことは明らかである(被 控訴人も転落防止柵については5m基準を持ち出して設置することが困難で あったと主張するが,警告ブロックの延長についてはこのような主張をして いない)。     なお,被控訴人の主張を前提とすると,平成7年9月に警告ブロックの設 置基準を変更し,各駅においてその実施工事を進めている途中で,本件事故 が発生したことになるが,国賠法2条の営造物の設置又は管理の瑕疵は,客 観的に通常有すべき安全性を欠いていることと解されており,過失の存在を 要求されていないから,仮に,警告ブロックの延長工事を計画していたとい う事実があったとしても,瑕疵の判断においては考慮されるべきではない。     いずれにしても,本件事故当時,警告ブロックがホーム東側終端部まで延 長されておれば,控訴人は,これを触知してホーム縁端部であることを認識 でき,転落を回避できたことは明らかである。  (6)転落防止柵の設置     本件ホームに転落防止柵若しくは立入禁止柵が設置されておれば,控訴人 は,ホームの縁端部若しくは終端部であることを認識でき,転落することは なかったことは明らかである。     この点,原判決は,「原告は数十センチでも転落防止柵を設置すべきと主張 するが,これは結果からみた議論であり,当時として,そのような設置義務 があったとはいえない」(原判決49頁)などと判示している。     しかし,既に指摘したとおり(原告準備書面(第8回)18頁),堺筋線日 本橋駅1番線前方の終端部は,乗降階段等がなく,行き止まりの壁となって おり,その壁の端とホーム縁端部の間隔が約40cmと,本件事故現場の終 端部と酷似しているところ(甲43・GH),「5m基準」に従わずに転落防 止柵が設置されている。しかも,田宮証人は,本件事故現場に,同様の転落 防止柵を設置することが可能であることを認めている(田宮証言・29頁)。     原審において,控訴人は,上記の日本橋駅の転落防止柵の存在を指摘して いたにもかかわらず,原判決はこれを全く無視している。自己の結論に都合 の悪い事実は黙殺するという悪しき判決の典型というべきである。     さらに,原判決は,数十cmでも転落防止柵を設置すべきであるとの議論 は結果から見た議論であると,何の根拠も示さずに否定しているが,視覚障 害者の歩行特性を全く理解しない議論というほかない。     先にも述べたが,ホームにおける自己の位置を錯覚してホーム終端部の壁 に突き当たった視覚障害者は,向こう側に回り込もうとして,壁沿いに縁端 部に向かって歩行してしまいがちなのである。本件で控訴人がそのような行 動をとったのは,視覚障害者としては極めて自然なことであり,決して特異 な行動ではない。そうだとすれば,ホームの終端部にたとえ数十cmでも転 落防止柵が設置されていることは,視覚障害者の転落事故を防止する上で大 きな意味があるのであり(なお,控訴人は数十cmだけ転落防止柵を設置す べきであると主張しているのではなく,より長い転落防止柵を設置すべきで あると考えている),決して「結果からみた議論」などではない。     このことは視覚障害者の歩行特性に照らせば明らかなことであるし,また 被控訴人が,大阪市営地下鉄で発生した過去の事故例について調査検討をし ておれば判明したはずである。  (7)「5m基準」について     原判決は,被控訴人が列車前部の停止位置前方5mの範囲内に転落防止柵 を設置しない扱いにしていることについて,「仮に列車停止位置前方のホーム 縁端部すべてに転落防止柵を設置するとなれば,過走が生じた際に常に列車 を後退させてから旅客の乗降を行うことが必要になるが,このような場合に は,たちまち他の列車の発着の遅れにつながって地下鉄列車運行に対する重 大な支障が生じるだけでなく,旅客のスムーズな列車への乗降がなされない ため旅客がホーム上にあふれる事態となって,旅客の混乱が生じたり,場合 によってはホームから旅客が転落する危険,その他予期しない事故の発生す る危険性があるものと認められる」(原判決48頁)として転落防止柵の不設 置を正当化している。     しかし,転落防止柵を設置することによって,はたして本当に「旅客が    ホーム上にあふれる事態となって,旅客の混乱が生じたり,場合によっては ホームから旅客が転落する危険」が発生するのであろうか。原判決もいうよ うに列車停止位置の前方5メートルには柵を設置しないというのは被控訴人 の内部基準に過ぎず,およそすべての列車の駅で採用されているというわけ ではないばかりか,大阪市営地下鉄内ですらこの基準を満たしていない駅も ある。それにも関わらず,原判決のいうような事故が,現実に発生したこと があるという主張も立証もない。何らかの原因で地下鉄に遅れが生じること は(ラッシュ時も含めて)日常的に経験することであるが,だからといって 原判決が判示するように,旅客がホーム上にあふれる事態となったり,ホー ムから旅客が転落するような事故が発生したことなどまずあり得ないことで ある。     そもそもホーム上に旅客があふれる事態を防止するためには,改札を通っ てホームに入る旅客の数を制限することによって対応すべきものであり,現 に天王寺駅等ではラッシュ時にはそのような対策がとられている。     原判決はこのように,本当に発生するのかどうかすら疑わしい荒唐無稽な 事故のおそれを持ち出して,視覚障害者の転落事故という何度も繰り返され ている具体的な危険を防止するために必要な対策を否定しており,極めて不 当である。                                 以 上 46 1